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1997.3.24. 第9回 「スポーツ・21世紀に期待する」
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水野 正人/Masato Mizuno 1943年5月25日生まれ。ミズノ株式会社代表取締役社長。1966年甲南大学経済学部、1970年米国カーセージカレッジ理学部卒業。1966年美津濃(現ミズノ)株式会社入社後、68年取締役、80年常務取締役、84年代表取締役副社長、88年代表取締役社長に就任、現在に至る。 現在、財団法人水野スポーツ振興会副会長、財団法人水野国際スポーツ交流財団理事、社団法人日本ゴルフ用品協会会長、世界スポーツ用品工業連盟環境保全委員会委員長、IOCスポーツ環境委員、財団法人日本ゴルフ協会ジュニア育成委員会顧問など、数多くのスポーツ関連団体の役職を持つ。 |
| スポーツ・21世紀に期待する | |
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| 皆さん今晩は。今日は「スポーツ・21世紀に期待する」という演題で話をさせて頂きます。 ミズノは1906年、明治39年に私の祖父が創業しました。とにかく野球が好きでこれを自分の生業にしたいと思い、当時別注の運動服装の製造から始めました。そして私の父が後を継ぎ、その後私が3代目の社長になりました。 実は今日は本当にくだけた面白い話をしようと思っていましたが、この21世紀倶楽部が掲げる壮大な主旨、目的からしてとても軽率な話は出来ないと考え改め、私なりに一生懸命準備してきました。 そもそもスポーツは従来の競技、訓練、教育という随分堅い要素から出来上がってきたのですが、最近になってスポーツすること自体が楽しくなければならないというように変わりました。また、健康維持面からの重要性や仲間作りの手段としても捉えられるようになりました。 仕事一筋で定年になったら自分の回りには友達が誰もいない事がおこります。そして毎日どのように過ごしていけばよいか分らない状態に陥る。そこで、平素から近隣地域で仲間をたくさん作っておく必要がある。スポーツが少しづつでも上手くなることによって生き甲斐にもなるでしょう。 そのように、楽しむ、健康、生きがい、社交と言う要素でスポーツはとてもいいのです。そして、スポーツをすることで心身とも健康になっていく。これら新しい要素がスポーツに加わって、21世紀にスポーツは私達の生活の中でとても大事な要素になるだろうと予測しています。 スポーツにはいろいろな切り口があると思うのですが、例えば「見るスポーツ」と「するスポーツ」に分けられます。つまり、見るスポーツというのはプロあるいはトップ選手の競技を皆が見て大いに影響されてその競技に参加していく。よってその競技の底辺が広がっていくのです。 例えばJリーグも最初はかなりのブームだったのですが、今は落ち込んでいると言われています。ところが、川淵チェアマンによれば、実は今が本当の姿なのだそうです。実際Jリーグがスタートする以前に比べたら、今でも随分お客さんは増えています。しかも設備も整って見せる環境も全部揃っている。 本日水野雄仁さんが来られており、野球には申し訳ないのですが、子供たちにとってはサッカーの方がルールが簡単で取り組みやすいようです。例えば野球はボークとかインフィールドフライとかタッチアップとかいう非常に難しいルールがあります。一方サッカーは一言でいえばボールを蹴って相手のゴールに入れればよく、反則も手を使ってはならないという程度のことなので随分簡単なのです。 従って、ジュニアのサッカー人口は野球よりもかなり多くなっています。これによってサッカーの底辺が広がっていくので、2002年のワールドカップではかなり日本の競技力も向上していくだろうと期待しています。以上のような理由から21世紀にスポーツが生活の中で非常に重要な要素になって、より良い社会作りに貢献できればと考えています。 ところで、日本では実に様々なスポーツが楽しまれています。自由の国ですから誰がどのスポーツをやろうと構いません。しかし、国によっては個人の身長や筋力を測定してその人に最も適したスポーツを強制的にやらせる国もありました。 ニュージーランドは約300万人の人口ですが、とてもラグビーが強いのです。実はこの国には羊が人口の10倍程いるそうですが、その羊までがラグビーをやっているというのですから、それは強くなるでしょう。あのオールブラックスは300万人の人口で世界一なのです。選手の身体が大きいということもありますが、国としてラグビーに集中しているのです。 しかし日本は多種多様なスポーツが行われています。アメリカの人口の半分の日本がメダル獲得数が少ないという批判がありますが、実はスポーツの選択肢も多く何でも出来るいい国なのです。 今年もプロ野球は話題豊富で宮崎を始めとする各チームのキャンプも大いに賑わっています。落合選手が日ハムへ行ったら、キャンプ地にたくさんの報道陣が訪れて話題騒然となります。イチロー選手や松井選手や清原選手や大リーガーの野茂投手も多くの話題を振りまいています。また、“新”野球評論家もテレビで活躍されています。その上、今年から大阪と名古屋にドーム球場もできたので、更に野球は面白くなると思います。 ゴルフも日本名、森虎雄、アメリカではタイガー・ウッズと呼ばれる天才プレーヤーが出現してからゴルフを中継するテレビの視聴率が大幅に上がりました。1日に13万人以上の人がゴルフ場に足を運ぶというのは、やはりタイガー・ウッズのプレイを一目見たいということに他なりません。 日本でもPGAツアー・オブ・ジャパンという機構ができ、選手会も名前を変えて倉本選手が「私達だけがこの世に存在しているのではない。皆で本当に社会の一員としてキチンと行動しよう。」ということで、社会貢献活動の一環としてガン撲滅基金トーナメントを開催しています。そしてそこで得られた収益の一部を社会還元しています。 スキーは大変面白いスポーツだと思っていたんですが、今の若者の多くはスノーボードを好むようです。私の息子も現在アメリカにいますが、スキーではなくてスノーボードをやっているようです。やはり、時代は変わってきたなと思います。 オリンピック、これは世界最大のスポーツの祭典です。ピエール・ド・クーベルタン男爵が1894年に国際オリンピック委員会を創設しました。そして、1896年にギリシャのアテネで第一回目のオリンピックが開催されたのです。それから丁度100年が経って去年のアトランタオリンピックが開催されました。そこで、21世紀を考えるなら20世紀を一度振り返って21世紀のことを考えた方がいいだろうと思います。丁度オリンピックも100年になりオリンピックの歴史と重ね併せて考えて見ましょう。 ところで、「ソフィーの世界」という哲学書が出ました。「私達は一体何なんだ。私達は一体どこから来たんだ。そして何処へ行こうとしているんだ。一体人間て何なのか。」という問いかけがありました。 地球は46億年前に形成され、そして水の惑星になりました。今ヘール・ボップ彗星が地球のそばを通過していますが、あれは直径50kmの氷の塊なのです。46億年前から多くの氷で出来た彗星が地球に当ったといいます。そして地球に当たる度に一度は水蒸気になり、それが雨となって降ってくるので、地球が水の惑星になったというのです 。 それで水からいろいろな有機物が出来て、あるショックで生命体となっていく。その後それが進化して生物になっていったのです。ところで、地球は23度半傾いていますが、これは小惑星が地球にぶつかって傾いたと思われます。そしてその傾きが四季、つまり春夏秋冬を作り、様々な生物の生きざまを変えていったというわけです。最後の氷河期というのは約6500年前だと言われています。その時に恐竜が絶滅しました。その後また温かくなって様々な生物が生まれてきたわけです。 人類はだいたい300万年前に世に現れたと言われています。そして人類が農業をやり始めたのが約1万年前です。2000年前にはキリストが現れ、1000年ぐらい前に十字軍の遠征があり500年ぐらい前の1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見しました。 その時間の経過を見る際に、46億年を丁度東京ー大阪を460kmとして考えて見ましょう。人間が生まれた300万年前というのは大阪から出た新幹線が東京駅で止まる300m手前なのです。これで計算すると1cmが約100年、1世紀です。そうすると大阪を出た新幹線が東京駅に最後に止まる1cm手前が丁度20世紀の始まりです。そしてそこから1cm動いて現在ということになるわけです。 宇宙的な時間のスケールとは実際それぐらいの長さです。丁度ヘール・ボップという彗星が今地球のそばを通っています。昨日が実は最接近の日に当たりました。この彗星は地球のそばを通ったと言っても地球と太陽間の距離よりも少し遠い程度です。肉眼で彗星の尻尾まで見えるということですが、昨日は少々曇っていたので見えませんでした。明日の午後9時ぐらいになったら見えるので、何とか見たいと思っています。 この彗星は計算すると4500年ぐらいの周期で太陽を回っているのだそうです。但しその周期が少しづつ短くなり、私達が次回この彗星を見られるのは2400年後、西暦4400年ぐらいだと思います。それでもその距離はこの46億年という時間からすると東京駅から44cmぐらい先のことなのです。 このように気の遠くなるような長い時間の中で私達は20世紀という1cm(100年)を進み、実は随分文明を発達させました。 20世紀になって人類は2回の世界大戦もやりました。第一次世界大戦以前では世界大戦になるほどの力をどこの国も持ち合わせていませんでした。ところが、20世紀になって世界規模の戦争が可能になったのです。 1914年から始まった第一次世界大戦ではオリンピックシティであるサラエボという街でオーストリアの皇太子が撃たれて、それがもとでドイツ、オーストリア、イタリアがイギリス、フランス、ロシアという国に対して戦争を始め、その後日本やアメリカも参戦することになり世界規模の戦争になりました。 その後1939年から第二次世界大戦が始まりました。戦争の悲惨さ、愚かさを考えると戦争を二度としてはなりませんが、何とか戦争に勝とうという皆の知恵が結果として科学技術を大いに発達させました。例えば空を飛ぶことができるようになったり、無線で遠隔地と通信が出来るようになったり、難解な問題を瞬時に計算したり、またレーダーもできました。 先程述べたオリンピックと関連して考えてみると、19世紀末クーベルタン男爵は英国で行われていたオリンピックと名のつくものを見て回って、オリンピックはもっと国際的にならなければならないと痛感しました。それまでのオリンピックは古代オリンピックから学んで、どちらかというと地域の運動会みたいなものをオリンピックと呼んでいたのです。それを世界規模にして世界平和に繋がるようにしようという理念が生まれました。 クーベルタン男爵はオリンピックムーブメントは一大教育活動あるいは教育運動であり、スポーツを通じて世界平和に貢献しようと最初に言われたそうです。ギリシャで第1回目のオリンピックが、第2回目がパリで開催され、以降第3回目がセントルイス、第4回目がロンドン、第5回目がストックホルムと続きましたが、1914年から始まった世界大戦のため1916年に開催される予定であったベルリン大会はキャンセルされました。 古代オリンピックは紀元前776年以降1200年間4年毎に開催されました。確かに地域のお祭りだといいながら、1回も休まなかったと歴史書には書かれています。よく調べてみると1回中断したこともあるらしいのですが、とにかく1200年間4年毎にキチンと実施されていたことを考えれば、近代オリンピックの場合、早くも6回目でキャンセルになったことは非常に残念だと言わざるを得ません。 しかし、その後1920年アントワープで、1924年パリで、1928年アムステルダムで開催されました。また、1929年からは大恐慌になりましたが、1932年にはロス・アンジェルスでオリンピックが開催されました。ロス・アンジェルスでは前のIOCの日本代表である清川正二さんが背泳ぎで金メダルを獲得されました。今でもロス・アンジェルスのオリンピックスタジアムには清川さんの名前が入っており、これを見た時は大変感動したと同時に歴史を感じました。 それからベルリン大会ではヒットラーが国威高揚にオリンピックを利用しました。1939年から第二次世界大戦が始まりました。1940年は東京大会だったのですが、1944年開催予定のロンドン大会と同じく大戦のため中止となりました。しかし、中止になった1940年東京大会のポスターは作られており、我社では記念として大切に保管しております。 そして1940年中止されたロンドン大会が1948年に開催されました。このロンドン大会に日本は戦犯として参加が見送られました。その後1952年ヘルシンキ、1956年メルボルン、1960年ローマと続きました。 そしていよいよ、1964年の東京大会です。当時日本は戦後の復興期ながら、海外から多くのお客さんが来日するということで、何とか東京をきれいにしようとトイレを水洗にしたり、高速道路を作ったり、東京と大阪間に新幹線を走らせたり、とにかく一生懸命準備に当たった結果、大会は大成功の内に幕を閉じました。 そしてこの東京オリンピックを契機として日本ではスポーツが市民権を得ました。例えばママさんバレー、水泳教室、テニススクールあるいは草野球、ゴルフのコンペなどが盛んに行われるようになりました。当時日本経済はまさしく右肩上がりの高度成長を続けていました。1968年のメキシコ大会では日本のサッカーが始めて銅メダルを獲得しました。標高が2000mと高く空気が薄いこともあって、その時に出た走り幅跳びの記録は1991年の世界陸上選手権まで破られることはなかったのです。そういう意味では特筆すべきオリンピックでした。 1972年はミュンヘンです。この大会ではテロ事件に大きな衝撃を受けました。1976年のモントリオール大会は経済的にかなり厳しかったと聞いています。1980年モスクワ大会でミズノはオフィシャルサプライヤーとして、私は当時担当者でありモスクワには12回行き準備をしておりましたが、最後の詰めに入ったところでソ連のアフガニスタン侵攻があり、結局大会はアメリカ、日本を始めとする西側諸国が参加しない片肺飛行となってしまいました。 次の1984年オリンピックがロス・アンジェルス大会です。この大会ではピーター・ユベロス会長が自分のポケットマネー1000ドルを銀行に入れたところから組織委員会をスタートさせました。国からも地方自治体からも何のバックアップもなく、全部自分でやれと言われてもわずか1000ドルからのスタートでした。 それから如何にして金を集めるか。答えはテレビの放映権を売ろうということでした。CBCやNBCやABCとか5社を選んで、落札しなかった会社には金利をつけて返金するという約束で、各社に入札に参加するための権利金を銀行に振り込むようお願いしたところ、各社とも喜んで振り込みました。 最初はこの預り金の金利で組織委員会を動かしました。次に落札・契約したらそのテレビ会社からお金が入ってくるので、その資金で動かしていきます。本当に賢いやり方だと思いました。 また、オフィシャルも一業種一社だけにして数社から相当の金額を集めました。これで大成功に終わったのがロス・アンジェルス大会です。以降オリンピックを開催したら儲かるということになり、いろいろなところが開催地の名乗りを上げるようになりました。 そして1988年ソウル、1992年バルセロナ、昨年のアトランタへと続いていきました。そして、1998年に長野で冬季オリンピックが開催されます。 実は私の祖父が東京オリンピックを、父が札幌オリンピックを一生懸命サポートしました。3代目の私も日本で開催されるオリンピックはサポートしなければ、ということで長野オリンピックをサポートすることにしました。組織委員会ができてマーケッティング・プログラムが発表された翌日に第一号のゴールドスポンサーということで名乗りを上げました。 私達ミズノも同じスポーツの中に身を置くなら、より良いスポーツ品を作り、楽しいスポーツライフを提案して、スポーツを振興させることで世の中に貢献しなければなりません。そして長野オリンピックが大成功するよう積極的にサポートしていきたいと考えています。 ところで、最初にIOCが環境問題で苦労したのが札幌オリンピックです。恵庭という滑降コースを作った時に地元の人から「あんなに丸坊主にしてもらっては困る。」と言われたのです。IOCは札幌オリンピック委員会と検討し、大会終了後また滑降コースに木を植えてもとに戻すと約束したのです。今ではそこは見事な林になっています。 1988年ぐらいから環境問題が大きく取り上げられるようになり、オリンピックを開催しようとすると必ず環境団体から反対が出るようになりました。しかしそれは環境保全活動をしないから反対が起こるのです。 IOCも環境保全に関してはキチンと行動しようということで、IOCスポーツ環境委員会を組織しました。私も推薦を受けて委員に就任しました。4月11日にはスイスのローザンヌで委員会があり私も出席する予定です。 委員会ではいろいろなアイディアがでています。オリンピアンはテレビを始めとする報道陣の前で話をする機会が多いので、事前に環境に関するマニュアルを配り少しでも環境に関する話や環境を大切にしようと言って貰いたいと考えています。 またオリンピック開催地の選考基準としてその都市がどれほど環境に対して積極的に活動しているかという項目を入れたり、オリンピックを通じて環境保全に関するメッセージを発信して世界の人々に好影響を与えてもらうなどを議論しています。 さて環境問題です。今地球を考えると生態系はぼろぼろになりつつあります。ヨーロッパでは黒い森、シュバルツバルトという森に苛性ソーダが撒かれています。理由は酸性雨が降って木が枯れるため苛性ソーダを撒いて中和させるのです。しかし、そのために虫が死に、虫を餌にしている鳥も死んでしまうのです。要するに生態系が崩れてしまう訳です。 また、二酸化炭素の排出ということに関してはエネルギーの大量消費が原因となっていますが、地球の温暖化が加速しています。そのせいで今、南極の氷がかなり解け出しています。平均で1度上昇しているということですが、この影響である種のペンギンは去年23000羽いたのが、今年は7000羽程減って16000羽になったそうです。それはプランクトンが減ったからだと言われています。つまり、気温の上昇に伴い氷が解けてその下で育つべきプランクトンが育たない。それで魚も集まってこない。魚を餌としているペンギンも減少してしまいます。 また、アマゾンでは熱帯雨林を毎年1%程度切っています。このまま伐採を放置すれば100年程で丸坊主になってしまいます。ところが、これは大変重要な酸素の源です。私達は当然ながら酸素がなければ生きていけません。 地球の直径は12700kmありますが、地球の直径を1mとすると空気の厚さは0.3mm程度しかないのです。薄皮みたいなものです。それが私達が呼吸をしている空気なのです。だから、大切にしないで汚し続けたら、本当にその薄皮はダメになってしまうのです。 21世紀を目前に控え日本ではお金にまつわる様々な不祥事が国・地方公共団体、民間を問わず発覚し、連日マスコミ等で報道されています。世界に目を転じてみても暴力や暴行、麻薬や窃盗などの問題が後を絶ちません。 人類が知恵を持ったことは本当に良かったのか悪かったのかよく解りません。蟻や蜂の社会を見ていると彼らの方がずっと賢いのではないかと思うこともあります。 従って、21世紀は何とかして倫理観に満ちた時代にしなければなりません。そこで、最後に歴史家である司馬遼太郎さんが小学校6年生の教科書に書かれた文章を皆さんに紹介したいと思います。非常にいい文章なので聞いたことがある人もいるかと思いますが、あらためて読んでみます。 “21世紀へ生きる君達へ。私は歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして歴史を愛している。 「歴史とは何でしょう。」と聞かれる時、「それは大きな世界です。かつて存在した何億という人生が、そこに詰め込まれているのです。」と答えることにしている。私には幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどすばらしい人達がいて、私の日常を励ましたり、慰めたりしてくれているのである。だから私は、少なくとも2000年以上の時間の中を生きているようなものだと思っている。この楽しさは、もし君達さえそう望むなら、お裾分けしてあげたいほどである。 ただ、寂しく思うことがある。私が持っていなくて、君達だけが持っている大きなものがある。未来、というものである。私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば21世紀というものを見ることはできないに違いない。君達は違う。21世紀をたっぷりと見ることができるばかりか、その輝かしい担い手でもある。もし、未来という街角で、私が君達を呼び止めることができたら、どんなに良いだろう。田中君、ちょっと伺いますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。そのように質問して、君達に教えてもらいたいものだが、ただ残念にも、その未来という街角には、私はもういない。だから、君達と話ができるのは今のうちだということである。もっとも、私には、21世紀のことなどとても予測できない。ただ、私に言えることがある。 それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的な事どもである。昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに、空気と水。それに土などという自然があって、人間や他の動植物、あるいは微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。自然こそ、不変の価値なのである。なぜならば、人間は、空気を吸うことなく生きることができないし、水分を取ることがなければ、乾いて死んでしまう。 さて、自然という不変のものを基準において、人間のことを考えてみたい。人間は、繰り返すようだが、自然によって生かされている。古代でも中世でも、自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然を畏れ、その力を崇め、自分達の上にあるものとして、身を慎んできた。この態度は、近代や現代に入って、少し揺らいだ。人間こそ一番偉い存在だ、という思い上がった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然への畏れが薄くなった時代と言ってもいい。 同時に、人間は決して愚かではない。思い上がるということとは、およそ逆のことも合わせ考えた。つまり、私ども人間とは、自然の一部にすぎない、という素直な考えである。このことは、古代の賢者も考えたし、また、19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では、平凡な事実にすぎないことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前に繰り広げて見せた。20世紀末の人間達は、このことを知ることによって、古代や中世に神を畏れたように、再び自然を畏れるようになった。おそらく自然に対し、威張り返っていた時代は、21世紀が近づくにつれて、終わっていくに違いない。 人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている、と中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。この考えは、近代に入って揺らいだとは言え、今まで述べたように、近ごろ再び人間達は、この良き思想を取り戻しつつあるように思われる。この自然への素直な態度こそ、21世紀への希望であり、君達への期待でもある。そういう素直さを君達が持ち、その気分を広めてほしいのである。そうなれば、21世紀の人間は、より一層自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間同士についても、前世紀にも増して、尊敬し合うようになるに違いない。そのようになることが、君達への私の期待でもある。 さて、君達自身のことである。君達は、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。自分には厳しく、相手には優しく、という自己を。そして、素直で賢い自己を。21世紀においては、特にそのことが重要である。21世紀にあっては、科学と技術がもっと進歩するだろう。科学・技術が、洪水のように人間を飲み込んでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君達のしっかりした自己が、科学と技術を支配し、良い方向に持っていってほしいのである。 ここで私は、自己ということをしきりに言った。自己と言っても、自己中心に陥ってはならない。人間は、助け合って生きているのである。私は、「人」という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画が、互いに支え合って構成されているのである。そのことでもわかるように、人間は、社会を作って生きている。社会とは、支え合う仕組み、ということである。 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それが次第に大きな社会になり、今は、国家と世界、という社会を作り、互いに助け合いながら生きているのである。自然物としての人間は、決して、孤立して生きられるようには、作られていない。このため、助け合うということが、人間にとって、大きな道徳になっている。 助け合うという気持ちや、行動の元の元は、いたわり、という感情である。他人の痛みを感じること、と言ってもいい。優しさ、と言い換えてもいい。いたわり、他人の痛みを感じること、優しさ、みな似たような言葉である。この3つの言葉は、もともと1つの「根」から出ているのである。根と言っても、本能ではない。だから、私達は、訓練をしてそれを身につけねばならないのである。 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達が転ぶ。ああ、痛かったろうなあ、と感じる気持ちを、その都度、自分の中で作り上げてさえいけばいい。この根っ子の感情が、自己の中でしっかり根付いていけば、他民族へのいたわりという気持ちも湧き出てくる。君達さえ、そういう自己を作っていけば、21世紀は、人類が仲良しで暮らせる時代になるに違いない。 鎌倉時代の武士達は、「たのもしさ」ということを大切にしてきた。人間は、いつの時代でも、たのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女共、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。 もう一度繰り返そう。先に、私は、自己を確立せよと言った。自分に厳しく、相手には優しく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよとも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、たのもしい君達になっていくのである。 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていく上で欠かすことができない、心構え、というものである。 君達、君達は常に晴れ上がった空のように、高々とした心を持たねばならない。同時に、ずっしりと、たくましい足取りで、大地を踏みしめつつ歩かねばならない。私は、君達の心の中の、最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。書き終わって、君達の未来が、真夏の太陽のように輝いているように感じた。 これは、大阪書籍という出版社の小学校6年生の教科書に、「21世紀に生きる君達へ」という題で、司馬遼太郎さんが書かれた文章です。20世紀は本当に素晴らしい、人類にとってエポックメーキングの世紀でした。しかし、ここへきていろいろ反省することがある。それを素直に反省して、そしてまた、良い21世紀を作っていけばいいと思います。ところで、この文章は先程も言いましたが、小学校6年生に宛てた文章なのですが、私も読んで感動しました。本当にこのような先達から学んで、本当に良い世紀を作っていかねばならないと考えています。 最後に私は、21世紀倶楽部の皆さんが私にこのような時間を与えて頂いたことに関して大変感謝しております。私もこれを契機にいろんなことを思い起こしながら、じっくり考えることができました。そういう意味からも一木君を始め、21世紀倶楽部の皆さんには感謝すると同時に今後とも協力し合って良い21世紀にしていきたいと考えています。これで私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 | |
| 司会 |
水野社長、ありがとうございました。では引き続きまして、トークショウの方に移らせていただきますが、長時間の基調講演、ありがとうございました。 そちらの方でちょっとお休みください。ステージの方、トークショウのセットに切り替えさえていただきます。 皆様方にはリバティ・オープン・カレッジのアンケート、こちらの方、お配りしているかと思いますが、これ、お持ちでしょうか。 お時間があるうちにこちらの方の、第1部の講演について感じたことを自由に述べてください、という欄がございます。今の感動のあるうちに、もしよろしかったらお書きくださいませ。 ミズノ社長、小学校6年生の何の教科書なんでしょうか。これは。国語の教科書、大阪書籍。もしよろしかったら、紀伊国屋などで買ってみて下さい。 あ、そうですか、ありがとうございます。もし、コピー、ご入り用の方は、21世紀倶楽部のスタッフの方にお申しつけ下さい。一木さんが、1枚10円の所でコピーしてくれるでしょう。 では、続きましてはトークショウの方です。ちょっと席を立たれている方、いらっしゃいますか。大丈夫ですか。大丈夫。はい。トークショウの方では、水野社長にもちろん、ご出席をいただきますが、同じ苗字で、野球評論家で、また、21世紀倶楽部の会員でもいらっしゃいます。先日、読売巨人軍を退団なさいまして、現在はフジテレビの野球評論家としてご活躍の、水野雄仁さんです。どうぞ拍手でお迎え下さい。水野社長も、どうぞお席の方にお願いいたします。水野さん、どうしましょう。両方とも水野さんなんですよね。 |
以下 正人(水野正人氏) 雄仁(水野雄仁氏) 司会(永井) | |
| 正人 | そうなんです。兄と弟と呼んでください。 |
| 司会 |
あ、じゃ、社長と、水野さん、そちらの方に。では、ただ今より、トークショウの方を始めさせていただきます。 基調講演をいただきました水野社長、もう一度拍手をお送り下さい。 そして、野球評論家の水野さんの方です。よろしくお願いいたします。 こちらの方のトークショウの方は、事前にみなさんから質問事項を中心にお伺いしてまいりますが、まず一番最初に水野社長の方から、何か反対にみなさんに質問があるということなんですが。 その質問は2問あるわけですね、答えた方には、正解の方には、ミズノよりプレゼントがあるという、これは2回目の試みなのですよ、リバティ・オープン・カレッジでは。 |
| 雄仁 | 賞金は1000万円という話ではなかったですか。 |
| 司会 | 賞金。そういうものじゃないんですけれども、プレゼントは私の方から紹介させていただきますが、問題はどんなものなんでしょうか。 |
| 正人 | 第一問は私が話の中で申し上げた彗星の名前を答えてください。尻尾のある星ですが。 |
| 司会 | 見ましたよ、私も、先日、飛行機から。 |
| 正人 | 飛行機から。 |
| 司会 | 飛行機からだと、よく見えるんですよね。 |
| 正人 | すごいんですよ。雲の上飛びますから。マイナス一等星というのは1等星の6倍の明るさなのです。ですから、肉眼でも尻尾が見えるのです。 |
| 司会 | 本当に、シューッていう所まで見えますね、あれは。 |
| 正人 |
私が子供の頃、空には星がいっぱいありました。私は星が大好きで、父と反射望遠鏡を使って星を追いかけていました。 ある時、京都大学花山天文台の宮本正太郎という教授のところに遊びに行くと、教授は私に「君、土星の輪はどうしてできたか知っているか。」と聞かれましたが、私が知らないと答えるとそれを見せてあげようと言われました。 |
| 司会 | 土星の輪っぱはどうやってできたんですか。 |
| 正人 |
土星にはいくつもの衛星がありますよね。その中のいくつかの衛星が直径の2.5倍以内に入ってくると、重力の関係で潰れるのです。 潰れてだんだんその周りを回るようになる。そして粉々になる。大半は細かくなって氷が上につくのです。 |
| 司会 | じゃあ、あの輪っぱは、衛星のかけらですね。 |
| 正人 |
そうだと宮本先生も言われました。ところで、土星は細かく見ると3つの輪があるのです。そしてその間に隙間があるのです。 それをカッシーニというイタリアの数学者が発見しました。それでそれを「カッシーニの間隙」というのです。実はそれも見えるのです。 |
| 司会 | 詳しいですね。 |
| 正人 | いえ、ただ私はとにかく星が好きですから。 |
| 司会 | カッシーニって言われた時は家具屋かと思いましたけれども。まずは、その彗星の名前ですね。どちらの賞品にしましょうか、では、これを先に。 |
| 正人 | そうですね。きっと答えられる人が少ないと思いますから、まず・・・。 |
| 司会 | 新聞に毎日出ていますしね。ずいぶんテレビでもやりましたし。濁点みたいな所がちょっとむずかしいですよね。 |
| 正人 | アメリカ人の名前なのですが、Hで始まって、次がBです。 |
| 司会 | こっちにしましょうか。まずは、ミズノのランバード・スポーツ・バッグです。 |
| 正人 | 大したものではありません。ドラムバッグというのですが、売れ残りかもしれませんね。 |
| 司会 | これは、売れ残りじゃないやつみたいですよ。 |
| 正人 | はい、実は今売っているものですから、当たらなかった人はどうぞ、店に行って買ってください。 |
| 司会 | では、挙手でまいりたいと思います。それで、水野さんがご指名下さい。 |
| 正人 | では弟の方からお願いします。 |
| 司会 | はい。弟さんが。はい。では、その彗星の名前は。一人? |
| 雄仁 | 一番速かったですからね。 |
| 正人 | そうですね。ヘールボップ彗星というのです。ヘールとボップというアメリカ人が1995年にこの彗星を見つけたのです。 |
| 司会 | なるほど。ヘール・ボップ。これがね、ヘール・ボップとかなんとか言っている、テレビでもいろんなこと言っているんですけれどもヘール・ボップが正しいんですね。 |
| 正人 | はい、エイチ・エイ・エル・イー(HALE)、ビー・オー・ピー・ピー(BOPP)ヘール・ボップです。 |
| 司会 | はい。ということで、じゃ、どうぞどうぞ。ミズノ・ランバード・スポーツバッグ。水野さんから贈呈です。 |
| 司会 | すいませんね、水野さんにそんなことまでしていただいて、申し訳ありません。それでは、第2問にまいりましょう。第2問の方は、先に商品をご紹介いたしましょう。これはイチローも着ている、スーパースター・ウオーム(ホーム)アップシャツ、Sジャージ上下。これは高いよ。高いよとか言って、高いみたいですよ。値段はね。これはあれですね。ストリート系ですね。ちょっとおしゃれな感じで、ちいママも着ているっていう感じですね。はい。さあ、それでは問題の方、お願いいたします。 |
| 正人 | はい。第2問目については1992年の冬季オリンピックはどこでしょうか、ということで、話の中で先に答えを言っておいてここで答えてもらおうと思ったのですが、時間がなくてそこまで話すことができませんでした。したがって問題を変えて、次の冬季オリンピックはどこでしょうではあまりに単純すぎます。そこで、次の問題は西暦2000年の夏のオリンピック大会開催都市はどこでしょう、ということにします。これは皆さん知っていますよね。南半球にありますが、・・・・・。 |
| 正人 |
南半球、南半球ですよ。 当たった人にはこれを差し上げます。弟が今から当てますが |
| 雄仁 | 僕も答えていいですか。 |
| 司会 | 駄目駄目、何言っているんですか。 |
| 雄仁 | 僕が選ぶの、これは罪ですよね。変な役回りですね。 |
| 司会 | 罪ですね、とか言って女性しか見ていないでしょう。さっきほら、男性の方だったから・・・。 |
| 雄仁 | だって、男性物でしょう。サイズ的に。 |
| 司会 | だって、彼がお泊まりした時に便利よ。 |
| 雄仁 | これだけしかいなかったら、じゃんけんにした方が公平じゃないの。 |
| 司会 | この数で・・・。いや、でも水野さんから選んでください。もういいですよ、恨まれても、私じゃないから。 |
| 雄仁 | いや、ボーイフレンドいる人もいるからね。 |
| 司会 | 彼がサイズ合いそうだから、彼。答え間違ってたら駄目ですよ。 |
| 参加者 | シドニー。 |
| 司会 | シドニーですね。はい正解です。 |
| 雄仁 | これ、中止になったらどうしましょう、シドニーが。 |
| 正人 |
そうですね。その時は返してもらいましょう。取りに行きますから住所も聞いておいて下さい。 はい。プレゼント、ありがとうございました。提供はミズノでございました。ということで、だいぶみなさんも打ち解けました。というのがねらいだったようなんですけれども、わざわざありがとうございました。ということで、本日はダブル水野さんにお越しいただいているわけですけれども、お二人はいつ頃からのお付き合いですか。 |
| 雄仁 | ジャイアンツのパーティーとかではよくお会いしてまして、それで途中僕がミズノのグラブ使いだしまして、それでずっとお世話になっているんですけれど。 |
| 正人 | 私は大阪で育ったのですがジャイアンツファンでした。ちょうど23年前東京に左遷されて来て以来、ずっと東京に住んでいるということもあり、ジャイアンツはより身近な球団になりました。しかし、関西ではジャイアンツファンは比較的少ないので、肩身の狭い思いをすることがあります。 |
| 司会 | 本社は大阪でいらっしゃいますものね。 |
| 正人 | ええ、関西では阪神ファンが多いですから。 |
| 雄仁 | そうですよね。最近は、さみしいですね、あちら方面は。 |
| 司会 | その話は後程伺うとしまして、まず、ものすごく多かった質問、みなさんからいただいた質問の中で、まずはこの質問を水野社長にぶつけたいと思います。「若者に人気のある同じスポーツメーカーのナイキについて、どのようにお考えか」という質問です。 |
| 正人 |
はい。ナイキはフィル・ナイト氏が20数年前に創業したのですが、ある日朝食を食べているときにそこにあったワッフルを見て、これを靴底にしたら、クッションに良いのではないかと考え靴作りを始めたのです。 実はナイキという名前はサマトラケのニケという像がルーブル博物館に入って一番正面にあります。あれは、背中に羽がついています。あの羽のマークをモチーフにしてナイキという名前にしたのです。あのマークは羽なのです。 |
| 司会 | あそこから来ているんですか。 |
| 正人 |
サマトラケのニケのあれがナイキです。羽をマークにつけたのです。 ナイキという会社は成功や失敗を繰り返しながら経験を積み、スニーカーの時代が来ることを予測し、スポーツ・マーケティングを駆使して有名選手との契約を続けました。 例えば、テニスのマッケンローですが大変話題性のある選手です。観客や審判にも平気で文句を言い、ラケットやボールを投げ出すこともある。年配の方は眉をしかめる人が多いと思いますが、逆に若い人にとってはそれが実におもしろい。そして若者の支持を得るのです。 また、バスケットボールでマイケル・ジョーダン選手がいますが、まさに空を飛ぶスーパースターと契約をするのです。この前のアトランタオリンピックで活躍したマイケル・ジョンソン、そしてミズノとも契約をしたことのあるカール・ルイスなども契約選手です。 しかしナイキの主要商品群はストリート・ファッションということで、要するに街で皆が履いたり、着たりするものを中心にマーケティングを進めるのです。そこは実に大きなマーケットです。そこで当たれば確実に儲かりますから、また、次に良い選手と契約をしていくのです。今本当に良い回転を続けていると思います。 また、ナイキタウンという小売店をポートランドからニューヨーク、シカゴほかたくさん出店しています。そしていろんなスポーツ関連会社の買収にも積極的です。ミズノも買収されないようにどうするかということですが、機能性を追求したスポーツ品を開発することです。 先日、長野のワールドカップの高速系のスーパーGでゼレンスカヤというミズノ製スキーとウェアを身につけたロシアの選手が長野で勝ちました。しかも2連勝です。このように私達は機能性の追求という部分だけは負けないようにしようと思っています。そして、トップ選手の皆さんに本当に喜んでもらえる高機能品を作り続けるということが大切だと考えています。現在、看板になる選手と言えば野球で言えば松井選手、イチロー選手、ゴルフで言えばニック・ファルド選手・・・・・。 |
| 司会 | 水野・・・。 |
| 正人 | あ、失礼しました。それと水野野球評論家です。 |
| 司会 | 落合。 |
| 正人 |
落合選手もそうですね。あとゴルフと言えば私達と契約しているニック・ファルド選手が去年マスターズで優勝しました。 私は毎年あの時期に渡米できない用事があって毎朝5時に起きてテレビを見ています。去年の3日目を終えて、グレッグ・ノーマンが7打差で大きくリードしていました。 もうこれでニック・ファルドは追いつけないなと思いました。でも最終日はニック・ファルドが最終組でグレッグ・ノーマンと回ることになるので、それでもまあいいかと思って4日目の朝5時半でしたが、テレビのスイッチを入れたら10番で4ストローク差だというのです。もしかしたらいけるかなと思っていたら、何と12番ショートホールでグレッグ・ノーマンの打ったボールが土手に当たって見えなくなりました。テレビの画面ではボールは見えないのですが池に波紋が広がっていきました。 |
| 司会 | その瞬間、やったと・・・。 |
| 正人 |
いやいやそれでもまだ3ストロークの差がありますから。しかし、ノーマンが本当に能面みたいな顔になって本当にかわいそうな感じがしました。 まさにグレッグ・能面でした。ノーマンは悲劇の人であんまり勝っていないのです。それで皆は勝たせてあげたい選手だったのです。だけど残念ながら勝負の世界は非情で、ニック・ファルドが結局勝ったのです。ニック・ファルドはミズノの契約選手でTーZOID(ティーゾイド)クラブを使っていました。皆さんよろしくお願いします。 |
| 雄仁 | ティーゾイド、売れているそうで。 |
| 正人 | ええありがとうございます。 |
| 司会 | 福島さんも使っていますよね。 |
| 正人 | 福島晃子選手ですね。彼女は去年ミズノと契約しました。そしてTーZOIDをを使って賞金女王になったのです。 |
| 司会 | クラブのおかげですね。 |
| 正人 | いいえ、そんなことはありません。本人の実力ですよ。 |
| 司会 | というようなこともあって、ナイキに吸収合併ということはないと思いますが。 |
| 正人 | 頑張ります。日本の会社ですから。ここが真価の見せ所と考えています。しかし、そういう意味では競争があった方が良いじゃないですか。 |
| 雄仁 | そうですね。僕らもサッカーが良かった時っていうのは、お蔭で僕らの年俸も上がったって言う所、あったんです。だから、もうちょっと頑張ってくれた方が良かったなあ。 |
| 正人 | それに試合の時間が短くなりましたしね。 |
| 雄仁 | そうですね。 |
| 正人 | テレビでも放送時間内に試合が入らないんです。仕方ないからラジオをつけて聞いたりしていましたが、Jリーグ始まったときはキチンと放送時間内に終わるのです。 |
| 司会 |
みんな、最初びっくりしたんですけれども、当たり前の話なんですよね。時間、決まっているんですから、サッカーは。それはともかく、ナイキにマイケル・ジョーダンがいたように、ミズノにはニック・ファルドがいるように、看板選手というのが、そのメーカーの売上も左右してくる。 だから、メーカーはものすごくスポンサードするっていうのが、一時期、半面問題になって、例えば桑田選手の暴露本でもあったように、アマチュア選手の時代からメーカーがスポンサードをする。あるいは、道具を提供したりするから、言葉はすごく乱暴なんですけれども、選手が、アマチュアなのに、勘違いをだんだんしていくんじゃないかっていうふうに書かれた本があったのを、たぶん、みなさんもご存じだと思うんですが。 それを読んだ時には、ああ、そういうことってあるんだなって、知らなかったんで私もそう思ったんですが、かなりこう、一面的な所から書いていると思うんです。それを水野社長からお考えになると、どういうふうに捉えられますか、それは。 |
| 正人 |
物事には必ず良い部分と悪い部分があり表裏一体なのです。スポーツは先程言ったように実にすばらしいものなのです。だから、皆でスポーツを振興して発展させて良い社会になればいいと思います。これは基本的な考え方ですが、自由競争社会においては自由で公正な競争で皆が張り合うことはよいと思いながら、競争が行きすぎるとこれは首の絞め合いにもつながっていきます。そして、その人格を無視したようなあるいは人格が育たないような活動に陥る恐れがあります。 IOCでも以前は商業化ということに対して随分反対していたのです。1952年から1972年までのブランデージ会長、その後のキラニン会長とアマチュアリズムを前面に押し出し、商業主義を否定していました。 ところが、サマランチさんが会長になってオリンピックを成功させるにはやはり金が必要だと判断して商業主義を導入しました。オリンピック憲章からアマチュアという言葉も削除されました。プロも参加OKです。そして最高のスポーツ大会にすればよいのです。その代わり、フィナンシャル・レポートつまり決算書を皆にオープンにして金の出入りは明確にしなければなりません。 例えばIOCの委員が泊まるホテルや乗る飛行機についても明らかにしていけばよいのです。アマチュアでもこれだけ競争が激しいと良い道具、良い施設、良いコーチがなくては良いスポーツ選手が育ちません。そうするとお金もかかってくるわけです。だから、大事なことはそのかかるお金の流れを如何に明確にしておくかということなのです。プロははっきりできます。 しかし、アマチュアはそうはいきません。従って、チームとか学校とかをサポートすることで明らかにしていけばよいのです。ところがサポートされ、ちやほやされることに変に慣れてしまうと人格が横柄になってしまうこともあります。そこはリーダーがそうならないようキチンと教育していかなければなりません。別の言い方をすれば、お百姓さんが大切に丹精込めて作られたお米は一粒たりとも粗末にしてはいけないという気持ちをきちんと植えつけることが大事だと思います。 |
| 司会 | 人にもよるんですよね。 |
| 正人 | そうですね。ただ、私達が選手に対してスポーツ品を提供するのには2つ理由がありまして、1つはやはりテレビ等のアピアランスでしょうか。2つ目は選手からのその商品に対する生の声が聞けるということです。それは例えばどこが悪いとか、どこを良くしてくれだとかいろいろアドバイスをもらって商品化計画に取り入れるということです。 |
| 司会 | だから、水野さん仕様のグラブもできるんですよね。 |
| 正人 | まあそうですね。 |
| 雄仁 | でも必ず人間が作る物ですから、機械で作っている物も、大量生産の物もありますけれども、僕もグラブなんかは、名人っていわれている人がいるんですけれど、ミズノの中で、歴史的な人がいるんですけれど、その人が作ってきても毎回違うんです。で、僕の使い方によって仕上がりも違うんです。仕上がりは、自分で途中で嫌な方向に行くと、1回ばらしてもらったりとか、それでまた、途中でこう、使っているグラブをまた締め直してもらったりとか、っていう感じになっていくんですけど。 |
| 正人 | 坪田名人と言われる人がいるんです。グラブと言っても素材が一品一品違うのです。だから、選手の手を測ったり、選手のプレー方法や特徴を考慮して作っていくのです。だから、作る過程でいろんな事を伺って、また作り直すというようなこともよくあります。 |
| 司会 | それが本来の目的ですものね。 |
| 正人 | この間、土井コーチに、なんとかルイスのグラブをもう一辺作り直してやってくれ・・・。 |
| 司会 | そうですね。 |
| 雄仁 | あれ、穴開けて作ってませんか。 |
| 正人 | ええ、実は開けているんです。冗談ですが・・・。 |
| 司会 | すごい今、それが心配なんですが。次の話題なんですけれども、みなさんからいただきました質問でもう1つ。ミズノの宣伝戦略で流行をつくっています「ねるとん」、「ハンマープライス」がありますが、次に来るものは。 |
| 正人 | はい。実は今のところありません。私も若いつもりで一生懸命やっているんですが、やはり年を重ねてきたような気もします。私が15年程前大学生の仲間と何かおもしろいことをやろうということで、いろんな人達が集まって若いエネルギーを発散させていました。本当に若者に受けるおもしろいアイデアというものは、やはり若くないと出てきません。これはエネルギーなんですね。だから、今でも21世紀倶楽部の皆さんはすごいエネルギーを持っていると思うんですが、もう少し年を取ったらだんだん駄目になってきますよ。 |
| 司会 | 社長がこの年代の時には、どんな感じの青年だったんでしょう。 |
| 正人 | そうですね。東京に左遷されて戻ってくるなと言われるぐらいでしたから、・・・。 |
| 司会 | 左遷されたというのは、本当の話なんですか。 |
| 正人 | はい。お前みたいなやつが大阪にいたら何するかわからないと言われました。 |
| 司会 | お父様に。 |
| 正人 | ええ、自分の目が届かないところに行ってくれと、・・・。 |
| 司会 | その目の届かない所で、どんな20代、30代を過ごされたんですか。 |
| 正人 |
実は私はアメリカ大好き少年でありまして、中学出て、高校出てとにかくアメリカに行きたいと思いました。私は芦屋生まれで、隣が六甲なんですが、六甲にはカナディアン・アカデミーという西洋人の学校がありました。 私はボーイスカウトをやっていましたから、カナディアン・アカデミーのボーイスカウトの連中と仲良しになりました。彼らは金髪で青い目をして関西弁で話をしていました。とろが、彼らは中学校や高校をを卒業するとアメリカに戻ったり、大学へ行くとかして、周りからいなくなってしまうのです。せっかく彼らからいろんな話を聞けたのに寂しくて、それならアメリカに行こうと考えるようになりました。それで父親に伝えたところ、日本の大学を卒業したら好きなようにしていいと言われました。 私は幼稚園から大学まで甲南で過ごしました。いわゆる甲南漬けというのですが、大学を卒業してからアメリカ文化センターでいろいろ調べてアメリカへ行きました。行った時代は66年から70年でしたので、丁度アポロ計画華やかなりし頃でした。私はそこからいろいろものを学んだので、日本へ帰ってきた時は相当のカルチャーショックを受けました。こんな商売していていいのか。品番もこのままでよいのか。 かなり強烈に年輩の人達に訴えたことが逆に反感を買い、結局東京に左遷される原因になったのです。そこで、国内よりも海外に行ってやろうと思いつきました。 1976年のモントリオールオリンピックで私は日本女子バレーボールチームの通訳兼運転手ということで、現地で大きな車を借りて選手を乗せて走り回っていました。結果は金メダル獲得です。私が取ったわけではないのですが、とてもいい思い出になりました。それから、次のモスクワ大会の為にモスクワには12回行きました。結構お金も使いました。 |
| 司会 | でも、その20代、30代を経て、45才で社長になられているっていうのは、ものすごく早いというか・・・。 |
| 正人 | いいえ、それは3代目だからですよ。 |
| 司会 | そのアイデアみたいなものをその年輩の人達にわからせていく術みたいなものっていうのは、私達もそういう所で悩んでいる世代でもあるんですけれども、それはどういうものになさったんですか。 |
| 正人 | いえ、わかってもらうと言える程特別なことはしていません。勝手に決めて勝手にやってましたから損ばかりしていました。それを繰り返す内に最後に諦められたようでした。そんなこともあり、随分ひどい部分もありましたね。 |
| 司会 | でも業績は社長になられた時、ものすごく伸びてらっしゃいますよね。 |
| 正人 |
バブル、バブルとにかくバブルのせいですよ、本当に。今ごろになっていろいろ反省していますが、まあ、3代目だからきっとこのような席に座っていると思います。 だから、私の息子にもミズノは株式を公開している会社だから、もし会社でずっと上がって行きたかったら、当然自分の能力を高めたり、人格を磨いたり、リーダーシップを身につけるというようなことをしないと駄目だよと言ってあります。今息子はアメリカに行っているのですが・・・。 |
| 司会 | なんか、ご本人に伺うと謙遜して何も教えてくれなさそうなんで、お付き合いの長い水野さんからご覧になって、社長はどんな方ですか。 |
| 雄仁 | そうですね。僕らの末端の選手まででも、今でも毎年誕生日にはカードを送ってきていただけますし、いつも手作りの細かい、いろんな絵を入れたりとか、いろんな部分の、送ってきていただいたりとかするんですよ。 |
| 司会 | ご自分で描いてらっしゃるんですか。 |
| 正人 |
ええ。絵を描くんです。今から2000年ぐらいまで持っていてもらったら、500万円ぐらいにはなるかもしれませんよ。 だからこれから2000年迄持っていてもらいたいと思います。でも今は全く値打ちないですよ。でも絵が好きなのです。最近ではコンピューターのぺインターというソフトがよくできていて、それで絵を描いています。 そして、それをカードにして友達やお世話になっている方々に送ったりしています。 |
| 司会 | よくそんな時間がおありですよね。 |
| 雄仁 | すばらしいでしょう。僕、いつ時間があるのかなあと思っているんですけれど。 |
| 司会 | 睡眠時間は何時間ぐらいでしょう。 |
| 正人 | 希望としては18時間は取りたいと思っているのですが、そうはいかないから、だいたい深夜に寝て6時ぐらいには起きて、NHKのラジオ体操をしています。だんだん年をとってきましたから・・・。 |
| 司会 | ラジオ体操を朝、おやりになるんですか。 |
| 正人 | 3チャンネルで6時半からやっています。 チャーンチャーンチャチャチャチャチャ・・・。 |
| 雄仁 | もうラジオ体操って、やっちゃいけないんだと思っていた。 |
| 正人 | えっ、誰にですか。 |
| 雄仁 | 今はもう、ストレッチしかやっちゃいけないのかなと・・・。 |
| 正人 | そうですね。ストレッチでしょうね。だから、ラジオ体操やる時はその前後にやはりストレッチを取り入れます。 |
| 雄仁 | そうですよね。ストレッチ系をやってからラジオ体操。そういう時代だからもう、ラジオ体操終わっているのかなと思っていた。 |
| 正人 | いや、まだしつこくやっています。 |
| 司会 |
ここでまた、みなさんからいただいた質問なんですけれども、今度は水野さんの方に。 評論家として最近ご活躍でいらっしゃいますけれども、とみに若い野球解説者が、時を同じくして増えましたよね。荒木さんとか。長嶋一茂さんは、あの方は野球じゃなかったですね。 |
| 雄仁 | そうですね。野球はやっていないです。 |
| 司会 | 評論家の方達の年齢層が若くなったことで、水野さんが変えてやろうと思っていることってありますか。変えてやろうまではいかなくても、俺はこのスタイルだっていうことを、どういうことを思って・・・。 |
| 雄仁 | そうやって、野球辞めたら言いたいな、と思っていたんですけれども、実際、僕始めて他のチームのキャンプ見たんですけれども、12球団とにかく回ろうと思いまして、2月にずっと回ったんですよ。で、ずっと見つめてきて、いかに自分が勉強不足かっていうのを痛感しましたんで、どう変えるも何も、とりあえず勉強かなという感じですかね。 |
| 司会 | 評論家になったら、これを言ってやろうと思ったことは、だいたい、本当はどういうことだったんですか。今は言っていないけれど。 |
| 雄仁 |
最初は、当たり前のことを当たり前のようにやっていることのすばらしさを伝えられればいいなあと思ったんですけれど、本当に簡単そうにプロの人はバントをやったりゴロを取ったりするんですけれど、貴重な存在で、ルイスみたいな選手が来ると、いかに難しいかというのがわかると思うんですけれど、でも本当に送りバント1つなんだけれど、それにすごい高額なギャラを貰っていて、それに支えている家族がいて、そのバントを決めることが、決まってしまえば簡単なんです。で、失敗した時だけとやかく言われるわけです。 だからピッチャーにしてもそうなんですけれど、140キロの球っていうのは常に、見てると、プロのピッチャーだったら投げるのが当然のように思われるんですけれど、でも自主トレ、キャンプ、オープン戦見ていると、そんなに140キロの球って、頻繁に投げているピッチャーは少ないわけです。だから毎年努力っていうか、毎年トレーニングを積んで、始めてやっとシーズンに140キロっていう球を投げられるようになっていくわけです。 そういうことの難しさを伝えられたらいいなと思ったんですけれども。まず、自分がテレビの前で緊張していますから、だから言いたいことも言えていないし、で、パ・リーグの選手でも知らない選手もいますし。勉強することがいっぱいなんで、今はそういう余裕なく、毎日追われているんで、ちょっと自分を見つめたいなとは思っているんですけれども、なかなか時間がなくて。はい。 |
| 司会 | 今はレギュラーはプロ野球ニュースと・・・。 |
| 雄仁 | 一応、プロ野球ニュース、フジの解説ですかね。フジの専属なんで。あと日本放送、ラジオをやるんで。あとはコラム書いていまして、報知新聞で。金太郎、なんだったっけな。忘れちゃった。題名、忘れちゃった。「ど真ん中、一球勝負」かな。 |
| 正人 | 金太郎飴。違うか。 |
| 司会 | あと、ザ・ウィークもたまにね。土曜日においでになってたりしますね。 |
| 雄仁 | そうですね。新聞が一番気を使うっていうか、どうしても活字に残っちゃうんで、テレビとかラジオっていうのは言いっ放しで終わるんですけれども、新聞は何年前の新聞っていうんで・・・。 |
| 司会 | こんなこと言ってたとか、こんことを予想していたとかね。 |
| 雄仁 | そうですね。ということで、非常に慎重に書いてはいるつもりなんですけれども。 |
| 司会 | その評論家の方から見て、今年はいかがですか、キャンプ。 |
| 雄仁 |
そうですね。やっぱり巨人が勝つと思うんですよ。何故かって言うと、投手力。 やっぱり最後はピッチャーの力がすごく強いんで、ドームの、この前大阪トーナメントでも3対2、3対2、2対1、3対2と、4試合2点か1点に抑えるっていうチームは、他には絶対ないんですよ。 で、まだヒルマンが投げてないとか、いろんな部分があるんで、それでジャイアンツが上かなと思うんですけれど、あんまりにもこれだけ注目されると、巨人中心にローテーション回してくるから、それがちょっと・・・。もしかしたら広島ぐらいが打撃力が良いんで、広島、中日。中日もちょっと駄目かなあ。広島が、もしかしたら来るかもわかんないですよね。見方として、1つ、阪神だとエースは藪ですよね。この前、大阪ドームで5点か6点とられましたよね。だから藪が巨人のピッチャーにいたらっていう置き換えをしてほしいんです。そうするとそのチームの強さっていうのがわかると思うんです。たぶん藪はうちに来たら、阪神のエースなのに巨人に来たらたぶん、1軍すれすれかな。 |
| 司会 | 1軍すれすれ?私、抑えぐらいは言ってもらいたい・・・。 |
| 雄仁 | だって、抑え、木田とか西山の方が速いすもん。 |
| 司会 | そうですね。 |
| 雄仁 | だからそういうふうに考えると、そのチームのレベルがわかるんじゃないかなと思うんですけれど。新庄がじゃあ、広島いってレギュラーになれるかっていったら、難しいですよ。 |
| 司会 | ここに阪神ファンの人がいたら怒られますよ。 |
| 正人 | これは帰れないかもしれない。 |
| 雄仁 |
いや、でも本当に僕も不思議なんですけれども、キャンプでおんなじチームをずうっーと見ていると、あ、みんなやるじゃないと思っちゃうんですよ。 みんなおんなじ練習やって、相手が立っていないから。ブルペンで投げてたら、プロだし、良い球投げているんです。何が違うんだろうと思ったら、相手のバッティングなんかでも、打ちやすい球を投げてもらっていますから、みんなホームラン打っているから、どこのチームも、ああ、すごいなあ、と思うんです。 |
| 司会 | 社長はいかがですか。 |
| 正人 | ジャイアンツは大阪トーナメント優勝なんですね。だから、結果からして強いんじゃないかと思います。それで、セ・リーグは大阪ドームを使わないのかな。使うことはあるんですか。 |
| 雄仁 | 何試合かあります。 |
| 正人 | 何試合かあるんですか。でもきっとボールが吸い込まれてしまうんじゃないかと心配ですね。あの球場は隙間があって、ボールがなくなることがあるんですよ。 |
| 雄仁 | あそこは野球場じゃないですからね。 |
| 司会 | 多目的イベントスペースですから。 |
| 正人 | 清原が、ファールフライ、パーン打ったやつ落ちてくるのまっていたら、落ちてこなかった。隙間にボール取られて。 |
| 司会 | あれ、ファールなんですね。 |
| 正人 | あれはファールゾーンに入ったらファールで、フェアウェイのゾーンに入ったら、2塁打になるんですけれども、審判はええ加減でコールするらしいね。見えないですよね。 |
| 雄仁 |
上に上がったら、わからないですよ。だから、だから「ファール」と言ってしまうんでしょう。 大阪ドームは近鉄が持ちゲームですけれど、近鉄のゲームじゃ採算、絶対取れないんです。 いや、本当に、だからコンサートとか、そういうことで儲けようと思っているから、いろんなシステムが使えるように球場を考えているから、野球にとって不合理なことがすごく多いんです。 |
| 司会 | こけら落とし、グローブでしたからね。 |
| 雄仁 | ですね。名古屋ドームもビーズかなんかでしたよ。 |
| 司会 | 野球のためじゃないってことですね。それは。 福岡ドームはマイケル・ジャクソンでしたよね。 |
| 正人 | あ、そうでしたね。 |
| 司会 | 要するに企業は儲かればいいという・・・。 |
| 正人 | たいへんですよ、ドームの事業も。なかなか採算取れないですから。 |
| 司会 | で、やっぱりジャイアンツという結果になったんですが、異論のある方もたくさんいらっしゃるかと思いますが。でもまあ長嶋監督ですからね。 |
| 雄仁 | その分でちょっとね。 でも長嶋さんがむちゃくちゃやっても勝てる戦力を作んなきゃいけないですよ、フロントは。 |
| 司会 | じゃ、去年のあの優勝は長嶋監督のおかげではない・・・。 |
| 雄仁 | いやいや、長嶋さんのおかげですよ。だから最初むちゃくちゃにしたのも長嶋さんだし、それから勝って行ったのも長嶋さんだから、いいじゃないですか。 |
| 司会 | おもしろくしているんですか。 |
| 雄仁 | そうです。長嶋さんは本当にファンのことを気にしますから。 |
| 司会 | そうですね。 |
| 雄仁 | その日勝つことより、みんなが喜んでくれる方がいいんですよ。本当ですよ。 |
| 正人 | 本当、本当。 |
| 雄仁 | 本当なですよ。「今日、お客さん来てるか」必ずどこ行ってもお客さんの入りを気にするんですから。 |
| 司会 | 前の日に誰々使おうって言ったら、必ずそれやってくれたりしますもんね。テレビで言ったこととかね。 |
| 雄仁 | そうですね。 |
| 司会 | ふうん。今年もおもしろくしてくれるんでしょうか。そろそろお時間になってしまいました。恒例の座右の銘、というのを水野さんからも伺いましょうか。新しい弟さんの方から。 |
| 雄仁 | 僕ですか。 |
| 司会 | そう。ちょっと台本にないんですけれども、新しいスタートを・・・。 |
| 雄仁 | だって今まですばらしい先生ばっかりの中で、僕の座右の銘が入るのはちょっと心苦しいですよ。 |
| 司会 | でも、野球選手って書いたりするじゃないですか。 現役の時は、いろいろの野球の「一球入魂」とか、いろいろあるじゃないですか。 |
| 雄仁 | 今、ずっと座右の銘ってなんだろうなって、ここん所、いろいろ考えまして、なかなか見つかんないっていうか。見つかんなかたんですけれども。最近ちょっと「無限大」とう言葉に、なんか賭けているようなことがあるんですけれども、自分のなんていうんですか、社長の気持ちの中も見えないし、僕の気持ちの中も見えないわけですよね。で、自分の気持ちの中でどれだけ大きなことを考えても、自分の勝手じゃなないですか。なのに、みんな自分で自分の限界をなんかちっちゃく、もう俺は、私はこれが限界だってなんか、今までの観念に捕われて限界をちっちゃくしているような所があるから、ただ今までのこととか何も気にせず、自分の気持ちだけは無限大に持っていようっていうのが、最近、思っています。 |
| 司会 | すてきな言葉ですね。そして水野社長、お願いいたします。 |
| 正人 |
そうですね。さっき私の弟が「一球入魂」という言葉を言いましたが、私のも似ているんです。実は千利休さんの弟子が言ったらしいのですが、「一期一会」という言葉なんです。 お茶の心では、あなたに差し上げるお茶、これが私の一生で最期です。一期というのは最期という意味らしいのですが、これが最期ですというつもりでお茶を差し上げたらどれだけ心がこもるでしょう、ということで私達が何をやるときも心をこめてやる。 いつもそういう気持ちで物事に当たることが一期一会の心だと学んだのです。だから、私は何をやるときも手を抜かずにしっかりやろうと考えるようになりました。例えば休むときでさえ、中途半端ではなく一生懸命休むとか、やる時は本当に心をこめてやろうという気持ちで生きていきたいなと思って、月並みではありますがこの言葉が好きです。 |
| 司会 | ありがとうございました。ということで、トークショウの方、時間が来てしまいました。もう一度お二人に拍手をお送り下さい。水野雄仁さん、そして水野社長でした。ありがとうございました。 |
| 雄仁 | 宣伝していいですか。 |
| 司会 | どうぞ。 |
| 雄仁 | 今日、11時半からプロ野球ニュースに出るんで・・・。 |
| 司会 | おんなじ衣装ですか。 |
| 雄仁 | いや、これしか持ってきてないんで・・・。 |
| 司会 | あ、自前ですね。 |
| 雄仁 |
昨日も出てましたからね。昨日もね。 はい。今日は横綱、貴の花をお迎えいたしまして、ちょっとやってみたいと思っております。 |
| 司会 | そうですか、よろしくお伝えください。 |
| 雄仁 | はい、わかりました。 |
| 司会 |
はい。ということで、じゃ、11時半、おうちにこれから帰れば間に合いますね。ということで、ご覧下さい。お二人にもう一度拍手を。 ありがとうございました。ということでお送りしましたトーク・ショウ、本日は本当に、スポーツに始まり、スポーツに終わるといった感じのリバティ・オープン・カレッジでございましたけれども、お二人とも本当に謙虚な方でしたね。ずいぶんと。私がミズノの方の企業の、いろいろパンフレットなんかを拝見していると、やっぱり水野さんが社長になられてから、海外に支社をものすごくお作りになっていたり、オフィシャル・スポンサーに、オリンピック、毎年なられたり、サプライヤーからオフィシャル・スポンサーになられたりというご活躍があるので、そこら辺りの秘訣は、という所をもう少し聞きたかったんですが、非常に謙虚な方なんで、3代目ですから、というふうな一言でかわされてしまったんですが、3代目でありながら3代目ですから、というふうに言ってしまえることの方が、私は、ちょっとすごいなと思いました。普通は2代目ですから、3代目ですからって、自分から嫌で言わないですもんね。 ということを感じた今日のトークショウでした 本日はこれでお開きでございますが、またのリバティ・オープン・カレッジでお会いいたしましょう。本日は最後までありがとうございました。 |

20周年記念コメント 